一般に、理系の学生は、数式処理で公式を理解するわけだ。しかしそれがすべてではない。
ある生徒は、図形的な理解ではじめて納得した。
私に言わせると、これは、歴史的には数学者がやってきたことである。
マイナスの数は、速さの概念から数学に導入された。
それまでは、3つのリンゴの載った皿から5つのリンゴをとることなどできるわけがないなどといいながら、計算の都合で仕方なく使っていた。

虚数(imaginary number)なんて、言葉の意味からして想像上(つまり存在しない)数である。これも三次方程式の解の公式からでてきた。便利だから仕方なくつかっていた。幾何学で直線より短い距離はないかなどという議論から初めて数学に導入(発見)された。

考えてもみよ。等号「=」だって、二本の平行線は等しいからというので作られた。象形文字みたいなものである。

だから、図形で理解するのはむしろ正道ともいえるのである。

無理数の存在もおそらく図形的な理解で納得したのである。
√2は、一辺が1の正方形の対角線の長さとして存在を認識できた。直角二等辺三角形のタイルを組み合わせて床を敷き詰めてみればわかる。
次に、三平方の定理より、√2と1を2辺とする長方形の対角線の長さが√3になる。
以下同様に、√nと1を2辺とする長方形の対角線の長さが√(n+1)として整数の平方根を証明したのだろう。

さらにさかのぼると、分数は数とは思わなかったのではないか。
1と2の間に数などあるはずがない。
線分の比として、概念ができたのだろう。

ベクトルも「運ぶもの」という意味である。移動という概念を抽象化したものといえる。

微積分ももとは幾何学的な発想からである。曲線の接線の傾きとか平板を重ねて体積を出すといった発想から生まれた。



たしかに、乗法公式まで、図形的に理解しなければ納得できないというのは困るのだが、
だから、これは、私の意見だが、図形で理解することはおかしくない。

今では数学は公理化されたので、数式による処理が必要だが、
図形的な理解もとっかかりにはなるなずである。